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旅行日記


8月1日(火)

早朝ナリンの町を撮影しました。宿舎から歩いて五分ぐらいに大通りがあります。牛を散歩に連れている老人にあいました。撮影すると金を寄こせと言いましたが握手するとOkで分かれました。町の中央を流れるアドバシュ河に行きますと散歩する人に出会いました。帰り際道路を横断する羊の大群に出会い、それを追いかけて撮影中、ユルタ(パオ)を見つけました。そこにキルギス族の夫婦がおり、子供がひとりいて、写真撮影をお願いすると快く室内も撮れと言ってくれました。ユルタの中には子供がまた2人いて、夫人がかわいい生後間もない子供を連れ出し撮影に応じてくれました。ここはゲストハウスの裏で,それを聞きつけた人が代わる代わる撮影に応じてくれました。今回4つの湖巡りがあります。その内のひとつで天山山脈に隠れて「幻の湖」といわれるイシククル湖を訪れます。その周辺は景色も良く、花や草原が被写体です。ドロン峠にさしかかりましたが、風景は余り良くなく、すこし引き返してそこで遊牧民を撮影しました。雄大な草原はこの人たちはビシケクに家を持ち夏場だけここで遊牧しているとのことでユルタのなかはすごく綺麗で、クミスと言う馬乳酒やチーズをご馳走になりました。峠を越え天山の雪山を見て検問所を通過し、オルトトマイ河を撮影イシクル領域に入り、環境税を支払い、昼食を湖畔のバルクチュのレストランで摂りました。この湖は多くの謎に包まれた湖でなかに沈んだ集落跡があります。玄奘三蔵がインド行きの行き帰りに立ち寄ったことが記されています。1980年代にこのことを知りかなり調べて、現地取材をしようかと思いましたが、当時は井上靖さんも訪れることが不可能で断念しました。サカ族(スキタイ族)や烏孫族が住んでいたとも言われ、湖岸には未だに青銅器や土器が打ち上げられているとのことです。ナリンから175・、バクチュルからチョルポン・アタ間が95・です。この辺はアンズの木に実がなり道の両側に小さい容器に入れて売り子が並んでいます。又湖で獲れた鱒などの薫製が売られていました。ソ連時代に計画されて、今は廃港となったチョルポン・アタ空港付近で4000年前から6世紀までの岩絵、900個ある野外岩絵博物館の見学です。山ヤギの絵が多く5世紀の石人もあると言われます。サカ族のものが多く、石人像はついに見つかりませんでした。その後イシククル湖畔の最大の避暑地チョルボン・アタのオーロラに宿泊しました。広い見事に伸びる白樺の林の庭を抜けると湖畔にでます。そこで海水浴をする人が詰めかけていました。明日の日の出のロケです。夏休みのためホテルは満杯で食事も遅くなるとのことでしたが添乗員の交渉で7時30分からとなりました。食堂は家族連れで賑やかでした。食後、ユネスコの派遣で当地に滞在する栗本慎一郎氏が我々の席に駆けつけキルギスの話をしてくれました。



 ナリンのキルギス族のユルタ

 ドロン峠の大草原

  青く太く流れるチュー河(オルトトマイで

)イシククル野外博物館の石像

8月2日(水)

日の出の撮影のため6時に湖岸へ撮影位置を決めて待ちました。しかし太陽は予想より東南東のザイリスキー・アラトウの山並みから粛々と昇りました。朝食後午前9時昨日の道を引き返し、バルチェク市内で曇っていた天山山脈が見えだし、湖岸の道を探して撮影をしました。そこで夫婦で泳ぐ人や、若者が飛び込む姿が見られました。湖は透明度が素晴らしく底まで見えます。天山と湖水が美しい光景でした。そこからチュー河のボーム渓谷を経てトクマクへ300・余ビシュケク郊外60・にプラナの塔が平原の中に突起しています。11世紀初めに造られた高さ24・あります。地震で45・あった塔が15〜16世紀に崩壊したといわれます。この塔の上からの眺めは万年雪の山並みを一望に見ることができ、バラサクン遺跡とここで発見された石人のアラビア文字から11〜13世紀のカラハーン王朝の首都のひとつバラサグンと推定されます。廃墟の敷地に3つの墳墓や礼拝堂の跡があります。野外博物館としてキルギス各地から集めた沢山の石人や石臼などが並べられています。予定になかったアクベシム遺跡の見学です。ここは玄奘三蔵が「砕葉城」と詠んだスイヤーブとされる5〜7世紀には、西突蕨の都でした、10世紀にカラハン王朝の都となり栄えたといわれます。いまはキリスト教会、仏教寺院、城壁などが草むらの中にあります。その近くで発掘が行われていました。リーダはロシア人の女性で、小さい仏像が出たり、寺院の柱らしいものが発掘されていました。そこを見学後首都ビシュケクに到着しアケーメのホテルに旅装を解きました。



 イシククル湖から見た天山山脈

  アクベシム遺跡で発掘が行われていた

平原にポッンと建つプラナ塔

8月3日(木)

アケーメホテルは高層建物で市内が一望できます。自室から日の出が撮影出来ると思っていましたが、大分西北西からで急遽屋上に行こうと部屋を出ると内藤さんとパッタリ会い屋上に向かいました。ところが鍵が掛かり外に出られません。内藤さんがカウンターに交渉して屋上のレストランを開けて貰い、屋外に出て日の出の撮影が行われました。しかし雲が多く効果はいまいちでした。ビシュケクは札幌と同緯度で天山山脈の支脈キルギス・アラ・トーの北斜面海抜750〜900・にあります。町のどこからでも南にアラ・トーの山並みが見られます。旧ソ連の都市計画で創られたため道路は東西南北に整然と走ります。人口78万キルギス、カザフ、ロシア人など多くの民族が暮らしています。市内のオシュバザールを見学し野菜、果物などが豊富に並んでいました。アラート広場にはレーニン像があり、国立博物館などを観光後キルギス、カザフスタンの国境に向かいました。通関は簡単でしたが外国人とカザフタン人の入管で押し合いへし合いの騒ぎでした。カザフの首都アルマトゥまで210・時差はなく平原を疾走して夕刻到着しました。遊牧民が活躍し、シルクロードのオアシスとして栄えた街で、東西の文化の折衝点でもありました。ロシア帝国の統治化におかれ、1854年にヴェールニーと呼ばれる砦が築かれたのが、現在のアルマトゥの起こりとなったといわれ1923年からカザフ社会主義共和国の首都として、タシケントと並ぶ大都会になりました。1997年12月に首都はアスタナへ移転しましたが南の首都としてビジネス、文化、学問の中心として栄えています。外国の航空会社はアルマトウに殆どが乗り入れてアスタナには直接行けないほどでいまだに首都と変わらない機能をもっています。リンゴの里と言う意味でかつては町中リンゴの樹で一杯だったが今は余り見かけません。道行く人は日本人に近い顔つきが多く、親近感を覚えます。パンフィロフ記念公園を見学後キヨクテベ山へ日没の撮影にロープウエーに乗り5分で着きました。この公園の喫茶店で時間を過ごし日没を撮影しました。条件は大変良かったのですが太陽が沈むところに工場があり、煙突の煙がたなびいて情緒を台無しにしました。再びロープウエーで下りオトラルホテルに宿泊しました。


 オッシュバザールの賑わい

  キルギス国立博物館

  カザフタンの独立記念塔(アルマテー)